2025.2.3

【外部協力者インタビュー】「プログラマーとしてずっとコードを書いていたい」20年にわたり裏から支え続けている想いとは?|H.K.

みなさんこんにちは。株式会社インターサーブの広報チームです。

今回のインタビューでは、インターサーブの外部協力者として20年以上携わり、現在は新規事業の基盤開発チームで活躍されているH.K.さんにお話を伺いました。技術に情熱を注ぎ、現場で手を動かすことを何よりも大切にされているH.K.さんが建築業界からIT業界へ転身し、さまざまなプロジェクトに関わる中で感じたインターサーブの変化や、外部協力という立場ならではの視点について深く掘り下げています。

これまでのキャリアや現在の業務内容について知りたい方は、ぜひ本記事をご覧ください。

インターサーブとの出会い

これまでのキャリアを教えてください。

20代の頃はIT業界とは全く関係のない建築の設計事務所にいました。当時はまだ手描きで図面を作成するドラフターを使っていて、某競馬場や大手商業施設、コンベンションセンターの施工図なども手掛けていました。自分は技術に対する情熱が強く、没頭するタイプだったので、一日中図面を引いたり建築の本を読んだりしていました。 ちょうどその頃、建築業界に新しい技術として「CAD(Computer Aided Design、コンピュータ上で設計や製図を行うツール)」と出会いました。勤めていた事務所の所長が使っている姿を見て「面白そうだな」と興味が湧きました。このCADがきっかけとなり、コンピュータの世界へどっぷりと足を踏み入れていきました。

設計事務所で1〜2年ほど経験を積んだ後に、建築CADを専門に扱う会社に転職しました。建築とコンピュータの両方に関わることができる仕事ということで、喜んで飛び込みました。しかし、私のまわりにはIT業界で働いている知人が多く、普段から「IT業界は面白い、未来がある」という話を聞いていたこともあり、IT業界への転職を決めました。建築は変わらず好きでしたが、コンピュータの方が面白そうで、結局そちらの道を選びました。

インターサーブと出会ったきっかけを教えてください。

インターサーブと出会ったのは2003年のことです。当時、インターサーブが大手小売業のお客様のEDIシステム導入に関わるプロジェクトを担当しており、そのチームに参画していた前職の先輩から「技術的なアドバイスをしてほしい」と声をかけてもらったのがきっかけでした。 しかし、その頃はITバブル崩壊の影響もあり、「いまはチームに呼べないけど、相談に乗ってほしい」と言われていました。そのため、最初は電話で技術的な相談を受け、「この環境で問題ないですか」「こうした方がいいかもしれませんね」といったアドバイスをするかたちで協力していました。

その後、ちょうど今から20年ほど前の2004年に、インターサーブがプロジェクトの体制を立て直しを行い、「外注を増員する見通しが立ったので、ぜひ来てほしい」と改めて声をかけていただきました。代表の岡本さんとの面接を経て、フリーランスとしてインターサーブと正式に契約しました。

最初に任されたのは、インド人で構成された開発チームをまとめる役割でした。プロジェクトにはアパレル業界に詳しいメンバーや、システム設計を担うメンバーもいたのですが、外注契約のエンジニアが多かったため、チーム全体の意思疎通が難しい状況でした。私が呼ばれたのは、その状況を改善し、チーム全体がスムーズに動けるようにするためでした。

これまでのキャリアの中で役員を務められた時期がありますが、その経緯について教えてください。

最初は開発チームの管理役からのスタートでしたが、次第に「この開発も任せたい」と頼まれることが増えていきました。当時のインターサーブはちょうどエンジニアの採用を増やし始めたところで、人数も少なく、経験が浅いメンバーが多い状況だったんです。

だんだんと私が中心となってプロジェクトを立ち上げて、その現場を支えていくような役割を担うようになっていきました。さらに、若いエンジニアや外注先は会社の業務内容を把握しきれていないため、私がチーム全体を繋ぐ役割を担うことも出てきました。そうした経験を重ねていく中で、チームメンバーからも自然と信頼されるようになり、ある時「役員にならないか?」と打診されました。

フリーランスとしてインターサーブに参画したのが37歳の時で、その後さまざまなプロジェクトに関わっていますが、そのうちの2年間を技術管掌の役員として務めました。当たり前ですが、役員は会社全体の方向性や会社の利益のことを考えなければいけません。ですが私はどちらかというと現場で技術に没頭し、エンジニアとして手を動かしていたいタイプなんです。エンジニアの管理や、技術的なアプローチを考えることはできますが、役員としての仕事はそれとはまた別ですよね。特に30代の頃はまだ、エンジニアとして第一線で働き続けたいという思いが強く、最終的に役員を降りて、普通のエンジニアに戻りました。

なぜ外部協力という形を選んだのですか?

代表の岡本さんや専務の池田さんは愛情深く、まるでチームの一員として自然に受け入れるような接し方をしてくれる方たちです。確かに、その方が良いと思う場面もあると思いますが、私としては、少し外側からインターサーブをサポートする方が、自分のスタイルに合っていると感じています。外部の立場だからこそ、客観的な視点で会社の状況や必要な支援を的確に把握できることもあると思っています。

先ほどお話ししたように、私とインターサーブとの関わりは非常に長く、外注という感覚はほとんどありません。ただ、外部の視点で見ているからこそ、見えるものがある。インターサーブがつくりたいサービスを私も実現したいと思いますし、特に開発面についてはできる限りサポートしたいと考えています。私の仕事は表には出ませんが、その分、結果で示すことを常に意識しています。

現在取り組まれていること

現在の仕事内容について具体的に教えてください。

新規事業の基盤開発チームに携わっています。 新規事業で開発しているシステムは、コンピュータの基本に立ち返り、シンプルな設計思想を大切にしています。最近は、書籍やインターネットなどで流行っているような、簡単に使えて便利な技術が人気です。私たちはそのようなモダンな技術やツールを安易に使わず、必要な部分はシンプルにゼロからつくっていく、という独自のアプローチを取っています。具体的には、言語、データベースといったシステムの根幹部分をゼロから開発しています。

大規模なシステムの開発では、「この仕組みはこの人しかわからない」といった属人的な問題がどうしても発生してしまいます。そうならないよう、まずは私が根幹部分をつくり、それを基盤開発チーム全体で共有しながら進めています。大変ですが、長期的に見ても大きな意義があると思っています。

新規事業のサービスはまだ売上に結びつくフェーズではないため、既存サービスなどのチームに頼りながら進めているような状況です。そのためにも、私たちの基盤開発チームのミッションは、今このタイミングでシステムの設計思想を反映した基盤を徹底的につくりこむことで、一日でも早く次のステップへ進む準備を整えることだと考えています。

長年インターサーブに携わってきて感じる変化と特徴

外部協力という形で長年携わっていらっしゃいますが、インターサーブの変化は感じますか?

長年インターサーブと関わっている中で感じる変化は、新規事業の基盤開発のような、これまでとは異なる新しい取り組みに力を入れられるようになったことです。以前は、それぞれの顧客向けにアプリケーションをつくっていましたが、メンテナンスやアップデートに追われ、やりたいことに時間が割けない状況でした。助けたいお客様がいても、社内の手が足りず、結果的に支援できる量に限界があったんです。そこで役員は、今の新規事業が目指す「ビジネスそのものの基盤」が実現できれば、その上で誰もが効率よく仕事ができ、結果多くの顧客を根本から救うことができる、という考え方に変わったのだと思います。会社の中でその基盤づくりに時間や人を集中的に投入できるようになったことが、ここ最近のインターサーブの大きな変化ですね。そして、その基盤づくりに自分も関わることができて、とても面白いと感じています。

一方で、インターサーブの根本的な部分はあまり変わっていないのではと思います。代表の岡本さんと専務の池田さんは、能力だけでなく人柄を重視するような採用を行っているため、インターサーブには「いい人」が集まってくるんです。また社員教育にも力を入れているので、社会人としての礼儀やマナーをしっかりと守れている人が多い印象です。それは役員たちが社員のことを思っての文化だと感じますし、こうした人柄重視の経営がインターサーブらしい特徴だと思います。

ご自身の役割の変化はありましたか?

以前は、すべて自分でやる方が楽だと思っていましたが、今はできるだけ社員に任せたいと考えるようになりました。今のチームのミッションの中で、私の役割は社員が主体的に動けるようにサポートすることだと思っています。私が対応した方がよいと思うところは拾っていきますが、その場合でもなるべく使いまわしができるように汎用性が高い設計を心がけています。単に利用するだけではなく、見本にしてもらうことで、皆さんのスキルが上がってほしいと願っています。

今後はさらに私自身が手を動かす量を減らしていき、社員が主体となって進めていける仕組みづくりを目指しています。今はずっとサーバー側のバックエンドの領域をやってますが、手が空いたタイミングで、まだ触れていないフロントエンドの領域にも関われたら、また面白いのかもしれませんね。

今後の展望

最後に、今後の展望を教えてください。

展望と呼べるほどの野望はありませんが(笑)、自分の中では、ずっとプログラマーとしてやっていきたいと思っています。一般的にはプログラマーのキャリアアップがSEや管理職だとされていますが、私はずっと現場でプログラムを書き続けたいと考えています。プログラミングは他の役割と同じ価値のある仕事であり、プログラマーこそが一番報酬を得られる職業であってほしいと思っています。

実は55歳で引退を考えていましたが、それも過ぎてしまいました。もし仕事から離れても結局プログラミングを書いてしまうでしょうし、長く現役でいることが自分にとっての理想です。サッカーの三浦知良さんのように、私も「現役のプログラマー」として、ずっとコードを書き続けていきたいですね。

関連記事